医療システムの歪(ひずみ)について、一石を投じることにします。
病院や診療所というものは、医療を担う法人だからという理由で税制を優遇されてます。しかしながら、薬局だけは医療機関であるとともに、営利企業でもある。ですから税率は一般の企業と同じです。こんな一例からも分かるように、薬局って場所は様々な医療の歪を垣間見て、感じられる立ち位置です。
さて、営利を追わないでも食べていけるような報酬システムが、医療の業界にだけに存在しています。乱暴な言い方をするなら、日に10人もお客さん(患者)が来てくだされば、看護師と事務員さんと医師とで(3人で)食べていけるくらいの優遇されたものが診療所の経営です。
薬局はというと、薬剤師と事務員さんで(2人で)やってたとすれば、日に20人のお客さんで何とか食べていけるくらいかな。
どちらにしても医療機関の経営って、とても優遇され特別扱いされている。それは不幸や病気に寄り添い、完治を目指すという尊い使命から・・・。それが医療従事者の責任というものだったから・・・。
ここでみなさんにひとつ考えてもらいたい質問があります。開業の医療機関が営利を追おうとすれば、どうすればイイでのしょうか?
答えは簡単、リピーターを増やすことです。歯科でも、耳鼻科でも、同じこと。完治を目指さないで、脳卒中発症のリスクや難聴の可能性等で不安をあおり、何度も来院していただくと利益は確実に伸びていきます。製薬メーカーがつくったエビデンスもそこが狙い。新聞等で話題になった降圧剤『ディオバン』のことは、今さらながら何を分かりきったことを言っているのだろうと、医療関係者は不思議に感じています。
さて、本題に話を戻しましょう。「相互扶助の考え」に基づいたいたはずの医療システムの歪。
もしも医療行為や投薬なしで健康な状況が保てるのなら、それが一番イイということは誰もが共感してくださると思います。社会的弱者を装い、薬を飲むこと自体が目的だと言われたお客さまにも遭遇したことがありますが、僕はすぐさまお帰り願いました。
売り上げをたくさん必要とする医療機関の経営者には、耳の痛い内容の話になるかもしれません。だけど身体の負担(代謝、排泄等の)を考えたら、投薬量は少なくなる方がよりベターです。薬物治療に目標(エンドポイント)を定め、慢性期における投薬終了の時期をお客さまと共有していく。そんな当たり前の医療が何処にもなく、医療機関経営維持のためのサービス産業(薬漬け医療)であることが、僕には不思議で仕方ありませんでした。
僕たちが関わっているのは慢性期の疾患。急性期とは違ったアプローチが必要となります。治療カルテも開示して、薬剤服用歴も開示して、医療関係者みんなでお客さま(患者)の利益を守れるよう、薬物治療がある時期で完結できるように、出来るかぎり努力すべきなのです(もちろんセキュリティは大事)。だけど、現実は違ってる。患者中心の医療とは名ばかりで、医療従事者中心の医療であることは自明の理。自分への自戒の念もこめ、僕はこの文章を書いてます。
医師になれなかったから、薬剤師になりました。そんな話を同業者の誰かに聞い
何で薬学部にいったのだろうかと、あのころを僕は思い出しました。もちろん医学部に行くような頭脳(偏差値)は持ちあわせてなかった。乳幼児期の僕をずっとあずかってもらってたお宅が薬屋を経営していたことも、僕の人生哲学に影響しているのだろうなぁ。無難な国家資格を、楽勝で取得できた時代でもありました。
理由はよく思い出せないけど、『薬漬け医療からの脱却』という想いは強くありました。少年期に形成された、揺るがない『信念』のようにおもいます。
新店舗で始める新しい医療サービス(脱薬プログラム)。お薬のチェックを行う薬剤師という職業の中で、東洋医学の知識を使い、体・心・栄養のバランスが歪んだ人を元気にしてさしあげることが、僕の役割です。漢方医学の考え方を伝える空間をつくり、病気に悩む人々と人生をたのしむ時間を共有するため、来年の春「薬膳カフェ」を開業します。
男の子は昨日の自分に勝っていかなきゃいけません。結果をだしてナンボの消耗品。男は、一生に一度でいいから、子孫に自慢できるような仕事をするべきなのです。