末田と暮らす3人の子供たちが、それぞれ中学校、小学校、幼稚園を卒業した。娘と長男は、高校と中学の受験を3月と1月に初体験し、それぞれの志望校に合格した。
のほほんと暮らしているように見えて、子供たちの生活はそれなりにとても大変だ。トロンボーン奏者の娘は、吹奏楽部の部長を任じられ、人を束ね音を合わせることに、人知れず何度も涙していた。剣道少年の長男は、早朝から神社の境内で「カタ」の練習を、眠い目をこすりながら毎日行っていた。
子育ては親育てだと思う。
子供たちに寄り添い、日々のルーチンを繰り返すことは、誰より何より親を強くする。親もそれなりに社会的な責務を負いながら、どうにかこうにか時間を作り出し、子供たちの成長に全身全霊で貢献し続けているからだ。日々のこの繰り返しが、親育てにゆっくり繋がっていくのだと思う。
のほほんと暮らしたいと考えながら、親たちは各々の思いとは反対の生活を繰り返している。末田もそんな親の一人であり、会社の経営をはじめてからより一層「のほほん」とは遠ざかってしまっている。理想と現実のギャップに苦しむという様なかっこいいものではなく、美しい生活を目指して生きているというのに、鏡をみるとそこにはゾンビがいてビックリといった感じだ。
去年の夏から今年の春まで、末田は人生でかつてない苦しみを体験した。弱い人の痛みが理解できる大人に、少し成長できたのではないかと、ポジティブに振り返っているところである。しかしながら苦しみの最中では、何度も何度も経営なんて辞めてやると投げやりになっていた。投げやりな末田を踏みとどまらせたモノ、それは子供たちと共に歩んだ「受験」であり「演奏」であり「試合」であった。父の苦労を知ってかしらずか、次男はいつもいつも散歩に末田を誘った。ポケモンGoに夢中の次男と何も考えず歩く夕暮れの「時間」。ただ歩くだけの時間にとても救われた気がする。
いつもの道をゆっくり歩くだけで、自分の中で確実に何かが変わっていく。
見える風景が変わる。
世界が変わるのは、ほんとうに簡単なことだと思う。