島根県隠岐国、海士町への旅から3ヶ月が経とうとしています。
この旅へ参加したことは、末田の中に大きな化学反応を起こしました。人生を大きく前向きに変えた視察旅行。それまでの古い自分を脱ぎ捨て、成長するといった感じとはなにか違う、原点回帰ともいうべきか自己再発見の旅。今年6月までの末田は、すべてを他人や社会のせいにして、人生をなかばあきらめ、気持ちも腐りきっている状態でした。大学から続く道楽三昧の放蕩生活を経てサラリーマンへ、営業から技術職そして管理職までのいろんな体験。縁あって地元津山で創業し、挫折と栄光を繰り返し、自分なりの答えを探し続けてきた48年の人生。このトンネルには出口がないのだろう、そんな風に人生を感じていた中年オトコが、生き方を変えることになった旅でした。
変化のきっかけはなんだったのだろう?もう一人の末田に出会うことになる時間は、なぜ生まれたのか?
それをこの3ヶ月、ずっと考えていました。流行りのアドラー本を読み漁ったり、読書会に参加するためカーネギーの「人を動かす」を熟読したりしてみたり。小5の長男と自転車二人旅へ出てしまなみ海道を走ったり、笠岡の白石島でアートに触れたりしてみました。考え続ける中で、二つの言葉に末田は出会います。
依存と自立。
クルマに依存しきっていた生活に気づく時間。自身の存在価値を、仕事の時間だけに頼り切る感覚。自分と自分以外とを区別し、優劣でとことん比較し、偏った自己評価で落ち込み、自分の殻の中で勝手に嘆く。モノにまみれた山中の津山から、何も持たず海の中へ身を移すと、自分の人生を他人の人生のようにながめることができました。新しい旅の出会いが、人を変えるのだと思います。
海士町視察で出会った記憶に残る言葉を思い出してみました。
「都市には生きるというリアリテイが無くなっています(海士町社会福祉協議会 片桐一彦さん)」
「たのしいことは自分たちでつくるんです(海士町役場交流促進課 山斗隼人さん)」
「ここには本丸で結果を出せる環境がありました(海士町教育委員会中央図書館 磯谷奈緒子さん)」
海士でいきる人々の言葉には、底知れない生きる力が宿っています。島の生活が消えてなくなるという目の前にある危機が、町政の経営指針を町民全員に浸透させているのだと感じました。
助成金や補助金に依存するのではなく、制度やお上に依存するのでもなく、自立し挑戦して、さらに多文化と共生し、未来へ向け交流している。生き生きと死ねる島なんだ、そう話してくれたご老人。明るい未来を夢みて、離島からの挑戦を続けてきた人々の生きざま。その文化は日本を変える原動力になるに違いありません。作州の山猿を再度奮起させ、デザインプロジェクトを動かす力になりました。
最後尾から最先端へ。
時代は大きく変わろうと、海と山のうねりをはじめています。