「末田くんだったら、僕の今(最期)の薬物治療をどう考えるだろうか。ロキソニンの錠剤だって言わなくても、細粒をすぐに用意してくれるのにな。」
嚥下の問題に取り組み続けてきた45歳開業歯科医。50日前、親友が最期に僕を思い出し、交わされた会話を、奥さんから聞きました。尊敬する仲間から、仕事を認めてもらえてたことに涙があふれました。彼の四十九日法要が終わった夜、薬学部の教授から、僕は電話で質問を受けます。何かがリンクした夜でした。
「平成25年(現在)の調剤(薬剤師職能)に足りないものは何でしょうか?」
少しの間があって、僕は言葉を発します。
「心でしょうね。」
そう答えた後に、ゆっくりつなげました。
「目の前にいる相手を心から心配し、良くなっていただきたいと考える『心』、とでもいえば良いでしょうか。調剤報酬ありきで考えてきたここまでの保険調剤。検査のデータやフィジカルチェック、薬物を継続的に服用させ、点数を得るための様々な言い訳。族議員を薬業界(団体)から選出し、保険医療におけるパイのブン取り合戦にうつつを抜かす若者たち・・・。相手を(モノではなく)心から人として認め、その人生と家族背景を知り、薬物療法の適正な状況をチェックする真摯な『こころ』。そんな調剤にとって一番大切な何かが、足りなくなっているのかもしれませんね。」
理想を追い過ぎてるってことは、もちろん承知しています。まわりに恵まれこのスタイルで6年間、なんとか会社を維持してきました。ここからは、もっと険しい山道に入っていくことになります。
彼の墓前で手を合わせ、僕は僕の道を真っ直ぐに歩いていくと空に誓いました。