久しぶりの海外へ、津山の仲間6名と旅をしました。アテンドしていただいたのは張教授と岩谷先生、おかげで僕たちの旅は中国の本当の姿を見る体験となりました。
昨年の秋のことです。
長い間、この国を出ていない感じがしてパスポートを確認すると、カンボジアの医療ボランティアから3年以上経っていました。場所は朝鮮半島の先、中国大連市です。日露戦争で旅順があった場所、旧満州国があった場所という方が、ピンとくるかもしれません。
何回かに分け、この旅とその後の自分自身の変化を、ふりかえってみたいと思います。
この体験から末田は大きく変わりました。
中国大連という地方都市(人口590万人)をとおし、日本という国の過去から現在、そして未来へと旅した感覚のなかに、ずっとたたずんでいます。僕たちの国は今年、明治維新から150年の節目をむかえました。
維新からはじまる日清日露の戦争、日韓併合。満州帝国建設、日中戦争(15年戦争)を経験し、日本は敗戦しました。お隣の県に原爆を落としたアメリカとの同盟(日英同盟、日独伊三国同盟に続き3度目)を組んでまで、経済発展を続けることを優先した日本はGNP第2位にまで駆け上がります。
いったい日本人にとって幸せとは何だったのでしょうか?
旧満州国へ行き、このことについてより深く考える時間をもつことができました。個人主義というものの「真」の意味とは何でしょう?100年前、日本という国が「理想の国」を創ろうとした場所で、全体主義でなく個人主義が育っていました。土着の文化をもたず、人々は土地をもてず、常に流れ動く存在です。継続した歴史を否定し、個人(一代限り)に帰属した文化をつくろうとしています。しかしながら、そこに暮らす人々は刹那的に生きているわけでもありません。世界中から集めた最先端を消費し、経済を西へ西へと推し進め、70年所有できるビルもつくっていました。人類の実験場所とも言えるこのマチとヒト。人間を自由にするところと規制するところを、ほぼコントロールできる世界。
いったい人の幸せとは何でしょうか?
自己矛盾の中、過去を否定し、未来を夢見て信じ、突き進む中国大連というマチを体験し、僕の「しあわせ」の定義が変化しつつあります。
「生きていく」という不安の中を、自由に「自らの考えで生きていける」ということ。
幸せとは、そういう時間のことをいうのではないでしょうか。
自分の役割をまっとうするとも、人の幸せの定義をいいかえることができるかもしれません。日本人としての自分の役割、それは「研ぎ澄まされた感覚」の先にある、その美意識がつくりだす世界感。
未曾有の少子高齢化社会へ突入する日本、一方で経済発展を我が物顔で桜花する中国。
49歳の津山人に残された時間のなかで、ふたつの国がたどり着く未来を、そのカタチを見てみたいと僕は考えています。
次回はもっと詳しく日本人の進むべき道について、お話しようと思います。