創業2年目の末田薬局の仕事は、それはもうハードそのものでした。開業当初から徹底的なジェネリック対策を行っていたため、特別な顧客対応が必須でした。面分業をかかりつけ薬剤師として実践したため、処方せんを受ける医療機関数は100を超えていました。自宅へ赴いて行う薬剤管理のボランティアが、作業時間の多くを占めていたのです。
今日も読んでくださって、ありがとうございます。
岡山の薬剤師、そして文化研究家、末田よしひろです。
昨日のお話を続けましょう。
さて開局10年目の現在、任せる人材が育ち、安心して薬局でお客さんの対応ができるようになりました。しかし、当時は営業部長(介護施設の新規開拓)と総務部長(給与計算以外の経理処理)を社長が同時にこなし、工場長(薬局長)と管理部長(高額な薬剤在庫の管理)も兼任する専門職(知的労働担当者)のマルチタスクでした。
3人の独身女性スタッフは、仕事に対してとても熱心に取り組んでくれていました。アルバイトやパートさんも精一杯の力でやってくれました。しかし薬剤師がひとりしか居ないという環境で、すべてがオーナーである専門職の判断が必要でした。そういう背景でしたので、社長である末田は異常に興奮した精神状態だったように思います。スタッフを含めまわりの全ての人々が、味方ではないような「被害妄想の世界」に当時の末田は住んでいました。
そんな錯覚した世界観の中で、それでも末田が頑張り続けられたのは何故でしょうか。
答えはただ一つです。
医療を担う「次世代の教育」という使命感。
教育は本当に麻薬だと思います。人間に与えられた最も崇高な行為、実力以上の力を人間に発揮させるもの。
この続きは、また明日。